穴倉

王様の耳はロバの耳、

訃報

蜷川幸雄が亡くなった。

私にとって衝撃的な死だった。

蜷川幸雄を知ったのは、大学に入ってから。藤原竜也のインタビューで必ず登場する鬼・演出家がいるとわかり、それまで全く興味がなかった舞台の世界に初めて目が向いた。

私は藤原竜也が好きだ。顔とかスタイルではなくて(いや、それもあるけれど)役者という仕事を自らの道と捉え、それに関しては誰にもつけ入らせない部分があるのがよい。雑誌やテレビで彼のインタビューがあるといつも目を通す。

その藤原竜也の初舞台を演出し、彼を「役者」にした人、蜷川幸雄

もちろん世界的に活躍していた演出家なのだから彼に影響を受けた人間はあまたいるのだろうけど、私にとってはそういう人だ。

 

藤原竜也蜷川幸雄、その二人を思い浮かべたとき私の中にもう一人必然的に浮かんでくる人物がいる。劇作家の井上ひさしだ。

2009年井上ひさしが脚本を書き蜷川幸雄が演出を務めた舞台「ムサシ」の主演は藤原竜也だった。好評を博した舞台がロンドンとニューヨークで再演される直前、井上ひさしは亡くなった。彼の遺作の一つと言ってもいいだろう。私が観たドキュメンタリー番組では演者と蜷川が「井上先生に捧げる」と公演にかける思いを語っていた。

なお「ムサシ」ののちに井上が藤原へのあてがきで執筆中であった「木の上の軍隊」は他の脚本家の手に引き取られ、2013年に上演された。

この番組を観たことで藤原・蜷川・井上の3演劇人が私の中でトライアングルとなり、演劇というものの熱量、舞台の刹那性とそれゆえ生まれる切実さを、憧れを持って見つめる契機となった。

 

いつか、蜷川演出の舞台を観にいこう。

できれば藤原竜也主演で。

 

そう決めて、そのいつかはなんとなく「就職してお金を稼ぐようになったらそのお給料で」に変わった。そう決めることで、希望はより現実的な目標になったはずだった。今思えば、そのときすでにトライアングルは欠け、たった1本の線になってしまっていたのだ。

今私は紆余曲折をへて5年目の大学生活を送っている。去年就職して社会人になっていれば、あるいは。訃報を聞いてそんなふうにも思ったが、蜷川幸雄がメディアでとりあげられるたびに「歳はとっても相変わらず元気で言いたい放題のじいさんだな」くらい能天気に思っていたからわからない。

 

やりたいことはとにかく早く、今すぐにやる。これは権利ではない。私に課せられた義務だ。この悔しさと喪失感は、ひとえにその義務を怠ったことへの罰である。そんなふうに思った。

 

偉大な人間を喪って、今宵どれだけ多くの演劇人がその死を悼んでいることだろう。私の中のトライアングルはついに1つの点になってしまった。拠るところをまた一つ喪った俳優も、今晩は思い出に浸っているだろうか。亡き人に捧げる意識でまた磨かれていくかもしれないその演技を、道を、私は必ず観に行こうと思う。