穴倉

王様の耳はロバの耳、

母と東京

 先日母と東京に行った。コロナ禍でしばらく帰省ができなかった頃、顔を合わせると衝突しがちな私と母はグッと親密度が増して「2人でディズニーなんか行っちゃったりしたいね」と話していた。今は帰省だってできるようになったけど、約束を果たそうよ、と言ってチケットを取った。母はオリエンタルランド株主優待で無料チケットが取れた。

 ディズニーシーでは私の食べるものをすべて母が奢ってくれた。私は社会人になってから両親と会うときも可能な限り自分の食べたものは自分で払うようにしてきた。帰省では実家の食事を出してもらうので、近辺で旅行に行った時に多めに出したり、プレゼントを買って帰ったりした。でも今回は私だけがディズニーチケット代を支払っているので、平等だ、と思いありがたく出してもらうことにした。お母さんが買ったごはん、お母さんが買った飲み物、と思いながら口にした。おいしいけど、自分で買った方がおいしいな、と思った。

 閉園ギリギリまで遊んで、私が予約したホテルに行った。銀座にあるちょっといい目の、でもビジネスホテル。母は田舎の農家で生まれた人だけど、バブルの頃東京で学生をしていたせいなのか「ハイクラスなもの」が好きなので、普段自分が選ぶようなリーズナブルで体を休めるのに必要十分なサービスのみのホテルではダメだと思った。

 部屋の広さ、レセプションサービス、アメニティ、朝食の質、母は値踏みするようなことを言ったり言わなかったりしながら概ね満足しているように見えた。あるいは、私が予約したホテルなので満足しているように見せたのかもしれない。出発のときに「なかなかよかったんじゃない」と言ったら一拍おいて「そうだね」と返ってきた。

 翌日は母の希望でお台場にてチームラボボーダレスの展示を見たあと、清澄白河を訪れた。私は江戸時代にまつわるものが好きなので、以前一人で深川江戸資料館に来たことがあった。今は休館中なので、いったい何をすればと思ったが、母は「おしゃれなカフェ巡りをしたい」と言っていた。どちらが若いのかわからない。

 近辺で食べログの評価が一番高いカフェに入った。歩くのに適さないサンダルを履いてきたので足がめちゃめちゃに痛かったけど、絶対に「疲れた」と言わないようにしようと思った。カフェは内装もメニューもカトラリーも洒落ていて、なかなかいいんじゃないかと思った。

 母が「お水もらってくる」と席を立った。そのときいるかと聞かれて「いらない」と答えたが、なんとなく予感がして「本当にいらない。私、いらないからね」と念を押した。

 しばらくして戻ってきた母の手に2つ水の入ったコップがあったので頭の芯がビリっとなった。「いらないって言ったよね?なぜ2回言ったかわからなかった?」と聞くと母は「違うの、これただの水じゃなくてレモン水だから」と言った。

 関係ないのに。私はいちどきに飲み物を飲みすぎると気持ち悪くなったりお手洗いが近くなったりする(割とそういう人は多いと思う)。その店で氷入りの紅茶を頼んでいたから、水なんて欲しくなかった。

「私飲まないよ。いらないって言ったよ」

「でもレモン水だよ」

「いらないってば。なんで私の話聞かないの」

「大きい声出さないで。もういいよ、私が全部飲むから。それでいいでしょ」

 全部なんて飲めないくせに。自分だってコーヒーを注文して、それに水2杯飲んだら気持ち悪くなるでしょ。私は自分でとってきたものを残すのも嫌いだ。

 それでいい、とは全然思わなかったが母の「大きい声出さないで」は相手が大きい声を出しているかどうかに関わらず発動される「これ以上の文句は受け付けない」の合図なので、黙るよりなかった。

 私は私の言葉を言葉通り受け取ってもらえるのが好きだ。私がいらない、と言ったらいらないし、いるといったらどんなにいらなく見えてもいる。私は私自身の扱いをわかっているし、自分の頭で考えて決めたことを積んでいくのがよい人生と思っている。

 この際水をどうしようがかまわないので、そのことだけは母にわかってほしいと思ったが「大きい声を出さないで」と言われて叶わなかった。

 そういえば母は共に出かける際、私によく「この服どう思う」と聞く。私はそもそも他人の服に興味なんかないのでいつも「いいと思うよ」と答えるのだが、母はさらにAとBとどちらがいいか尋ね、たいてい私がいいと答えた方を身につけている。服なんて、自分がいいと思うものがこの世で一番いいに決まっているのにな、と不思議に思うが、それが母の価値観なんだろうとも思う。

 母はきっと予想もしなかったレモン水を連れが持って戻ってきたら喜んでごくごく飲むだろう。それもわかる。そしてあとで無性にトイレに行きたくなって「ああ〜レモン水飲んだからだ」と悪気もなく言う。そのときそのときが一番大事な人なのだ。

 1泊2日一緒にいたけれど、小さないさかいをしたのはそのときだけだった。これが長く一緒にいるほど頻繁になって、規模も大きくなる。人間って変わらない。

 カフェを出て歩いていたら通り雨が降ってきて、傘を持っていなかった私は母の雨傘兼用の日傘に入れてもらった。思いの外強い雨脚に尻込みした母が「もう帰ろうか」と言ったけど、今日を逃したら母がこの街に来ることはないんじゃないかと思ったので「せっかくだからもう少し歩いてみよう」と言った。しばらくすると雨は綺麗に上がり、なんだかお洒落なカフェが点在する通りを見つけることができた。母は「あなたの言った通りにして正解だったね」と嬉しそうにしていた。私は「たまたま上がってよかったよ」と言って、前を歩いた。雨の中長く歩いて足が熱を持ち始めていたが、疲れた、とは一度も言わなかった。私も母も。