穴倉

王様の耳はロバの耳、

嫌いな上司と袂を分かつのこと

実家に帰省したら、朝食にグレープフルーツが出た。

苦手である。口に入れたとたん酸味とえぐみが広がり、マズい、 と顔をしかめたが、甘味とうまみだけをおいしいと感じるなんて、 28歳にもなってそんな幼稚な味覚でいいのか?と思い、マズい→ 複雑な味だ、と頭の中を修正する。 何度もこれを繰り返していけば、 いずれグレープフルーツを食べると「複雑で味わい深い」 と思うときが来るのではないか。そう思いたい。

 

GWと称した10連休をとるにあたり、 一つ自分に宿題を課していた。

それは「上司について考えない」こと。

 

19年7月に自部署にやってきた上司と私は、 想像を絶するほどウマが合わなかった。

はじめはずいぶんと感じのいい、快活な人だなと思った。 前の上司がパワハラの気があったこともあり( 実際会社の指示でアンガーマネジメント講習などを受けていた)、 それに比べるとかなり付き合いやすい人のようだ、順調順調。

少し、事業や製品のことに疎いけれど、外から来た人だし。 指示に根拠が足りなかったり二転三転したりするのも、 時間が経てばそのうち。自分に言い聞かせるうちに半年、1年が経 過し、違和感は失望になった。

前の課長が自分の仕事としてやっていたことを課員にすべて割り振 ってしまう。それでいて特に新しい仕事をしているようではない。 課員の個人としての仕事内容は把握しない。 だから思いついたように出す指示は的が外れている。 外から振られた仕事を捌かずチームに丸投げする。 誰がやっても同じアウトプットになる仕事なら、 納期と負荷に応じて振り分けるべきだが、 当然そんなことはできない。 部下の仕事量を把握していないからだ。

 

このように、 上司の仕事ぶりに関する愚痴を言おうとすると永遠に並べることが できる。この1年と10か月、 とにかくこの上司への苛立ちが私を支配していた。 仕事中だけではない。家族や友人と話していても、 愚痴が口をついて出てくる。 聞かされる方は意味がわからなかったと思う。会ったことのない、 この先会うこともないであろう人間の仕事ぶりがよくない話なんて 、本当に聞く意味がない。面白味もない。 聞いてくれた人には申し訳ないことをした。でも止まらなかった。

 

私自身、どうしてこんなに腹が立つのかわからなかった。「 仕事のストレスの8割は人間関係」というが、 仕事上の人間関係なんて、 意図的にプライベートで関りを持たないかぎり、 社外に出てしまえば自分とは関係ないことではないか、 と思っていた。

違った。

仕事後、怒りが収まらずノートに上司の嫌なところを書きなぐる。 我に返り、あんな人当たりのよい人をここまで嫌いになるとは、 私の方がどうかしているんじゃないかと自己嫌悪に陥る。 誰かが上司を貶していると、 自分が間違っていないと言われているようでホッとする。 でも誰か上司のいいところを教えてくれ、とも思う。 嫌なところばかり見て、 顔を合わせるのがつらくなるのは自分である。上司が夢に出る。 夢の中でも私は地団駄を踏んでいる。「上司とうまくやる100の コツ」を読む。 全て部下の諦めと我慢の上に成り立っていることに絶望する。 占い師に相談に行く。 知るはずもない上司の生年月日を聞かれて往生する…。

 

ここまで七転八倒しても、 私と上司の関係は基本的に悪化の一路を辿った。

当然のごとく私も悪かった。上司の意見について「違う」 と思うことはほぼ100%「違うと思う」と主張した。 上司の期待に沿えなかったときに上司の側にも改善点があるのでは ないかと思うことはすべて当人に伝えた。 ものすごく嫌味な部下である。誰だってそう思うだろう。

 

上司は私の担当プロジェクトに関連する打合せに出なくなった。 上司の、 そのまた上司への報告に最低限必要な情報収集しかしなくなった。 それまでも十分とは言えなかった相談先を、私は完全に失った。 大きなプロジェクトであったため、他部署の関係者も多数で、 皆職位の高い人ばかりだった。課長職の人間がいないので、 一担当者の私に部長や室長クラスの人々から連絡・質問・ 依頼が集中した。私はあっさり会社に行けなくなった。

 

部長から電話がかかってきた。

私はうまく働かない頭で「困っていること」 を箇条書きにしたエクセルシートを画面共有で見せた。 そのときはなぜこんなに苦しいのか、 自分でもよくわかっていなかった。

部長はさっと目を通して「もともと負荷も高かったのに、 お月見さんを一人ぼっちにしてしまったね。 すぐに相談できる体制を整えます」と言った。

 

私は一人ぼっちになって、誰にも相談できず苦しんでいたのか。 しかし課長を遠ざけたのは私自身だ。 私は自分で自分の首を絞めたのか?すべて私の未熟さ、 至らなさだったのだろうか。

それならばそのように誰か私を𠮟り飛ばしてほしいと思ったが、 結局誰からも戒められることはなく、 元から決まっていた組織体制の変更を機として、 めまぐるしいほどの速度でチームの再編、上司の異動、 私の仕事量の調整が行われた。

上司とは4月末をもって袂を分かつことになった。

 

一度だけ、上司と少人数で飲みにいったことがある。 私と上司とがあまりにうまくいっていないことを心配した元上司が 気をまわし、3人で飲みに行こうと誘ってくれたのだ。そのとき「 なぜ私たちはうまくいかないのでしょう」 と冗談めかして問いかけてみた。「なぜだろうねえ、 僕が伝えようとしていることがお月見さんにはうまく伝わらないし 、 お月見さんが伝えてくれることも僕はうまく受け取れないんだよね え」と上司は困ったように笑った。

その通りだと思った。ずっと異星人と話しているような焦燥感、 これだけは間違いなく私たちが共有したものだ。

何か共感めいた感情を持てそうであったが、その後元上司から「 お月見さんと合わないのはわかりましたけど、 じゃあ今のチームの誰なら合うんです? 誰となら仕事しやすいですか?」と聞かれた上司が「うーん、 誰とも合わない。今のチームで評価している人は正直いないかな」 と”正直であればなんでもいいと思うなよ”というような返答をし ているのを見て雲散霧消してしまった。百歩譲って私はいいけど、 チームの悪口を言うな。

 

連休前、私は課員に呼び掛けて上司の送別メッセージを集め、 ちょっとしたアルバムを作ることにした。なぜと言われても、 もうよくわからない。 ただ何か少しでも自分自身にとって漂白剤となるようなことをして おきたかった気はする。

自分のメッセージカードに何を書くか最後まで迷ったが、 形式的な礼と挨拶に加え「 あまりいい部下でなくすみませんでした」と書き添えた。

送別会の日、一次会から二次会会場へ移動の最中、 ふと隣に上司がやってきた。

「お月見さんと何度か、電車で一緒に帰ったことがあったね」

「そうでしたね」

「あのときは楽しかった。仕事と関係ないことで話をして。 ああいう時間がもっと持てたらよかったかな。 コロナ禍で難しかったけれども」

「…そうですね」

私の記憶が正しければ、 そのとき我々は共通の話題のなさと気まずさのあまり、 楽天スーパーポイントセールの際には何を購入するかという、 この世の雑談の果てのような話をしていたのではないかと思うが、 なんだか上司が感傷的になっているようだったので肯定した。

 

連休が明けたら、新たな環境での仕事が始まる。 言ってみればわがままが通って仕事環境が最高に整ってしまったの で、もう言い訳はできない。上司との関係に懊悩している頃「 上司のサポートを受けられない期間が一番成長する」 という言説を耳にしたが、私はそれほど強くなかった。 上司と良好な関係を構築できず、さりとて自立もできず、 ぺしゃっとつぶれてしまった弱い自分を認めて鍛えないといけない 。

結局GW中は上司のことを思い出すことはほとんどなかった。が、 あの謝罪の一文を上司はどのように読んだだろうか、 ということだけは少し気になった。

 

冒頭に戻る。

好きな食べ物はそばと馬刺しで、嫌いな食べ物はトマトとレバー、 あとグレープフルーツ。シチューとかはまぁ、 好きでも嫌いでもない。 ランキングをつけるとしたら嫌いな食べ物は一番下位に来るはずだ が、どうしてなかなか「食」 に関して考えるときに私の脳裏に浮かぶ回数でいえばシチューより もトマトの方が圧倒的に多い。食べる回数は少ないはずなのに、 嫌いな食べ物の味は口が鮮烈に覚えている。あの酸味。苦み。

上司のことも、 もしかしたらこの先何度も思い出すのかもしれない。 そのたび顔をしかめるのかもしれない。同じ会社にいる以上、 いつかどこかで、と月並みな挨拶をしたが、 できればもう同じチームで働くのは御免こうむりたい。

でも、完全に忘却のかなたに追いやってしまうのではなく、 もっと経験を積んだ時にこの2年弱の記憶から何か取り出せるもの があったらいいなとも思う。