穴倉

王様の耳はロバの耳、

私の不恰好な恋愛のこと

いわゆる遠距離交際をしている。きちんと男性とお付き合いするのが初めてなので、いっきに距離が縮まることのないこのタイプの交際が自分のペースを保ててよいのかもしれない。そう感じる一方、なんとなく聞き及んではいた「付き合っている」ということの不確かさを、我が身のこととして実感してもいる。
 
大好きな小説のひとつに、山崎ナオコーラの「人のセックスを笑うな」がある。高校生のときこの小説を読んだがために私は「本物の恋は冬、東京の片隅でしか始まらない」と思い込み、スタートダッシュをだいぶ見誤った。あと映画のDVDとサウンドトラックも買った。
 

 

電話なんて温度だ。

 

 

言葉は何も伝えて来ない。

 

 

ただ温度だけは伝えられる。

 

 

オレは、ユリの温度の低いのを感じた。

 

 
この一節を読んで「ナオコーラ…!」と思った私であったけれど、現在、電話でなくとも男女の間に交わされるものはすべて温度なのでは、と思い始めている。
 
彼から連絡があったとき「またきた」くらいに思うときがある。それを文面に出さないように、いつもと同じだけ絵文字を使う。
あるいは、伝えたいことがあって送ったメッセージにいつも通りの返信がくる。ただ相槌だけで、会話の推進力がない。1つめの返事で今日はだめだとわかる。送れば送るほど相手の温度が下がるであろうことがわかってしまう。そして自分も、しばしば同じことをしていることも。
 
相手の温度に対して、影響することは難しい。あくる日目覚めたら前の晩とはうってかわってなんとなく話したくなっている、そんなことの繰り返しだから。こうやって無関係に温度を送りつけあって、いつか、どちらかの温度が上がらなくなっていることに気づいて、それが別れと呼ばれるのかなと思うとわびしくなった。
このわびしさが関係を大事に思う気持ちだと、今は考えるしかない。
 
二人の温度のリズムが同じになった方が気持ちいいだろうと思うけれど、すれ違い続けた方が長く共にいられるのかもしれない。寂しさの方が強いエネルギーで、離散していくものを繋ぎとめられるような気がする。
もうすぐ、連休で訪れる彼と過ごす日がやってくる。何かを確かめておきたい気がするけれど、それが何かわからなくてためらいながら書いた。