穴倉

王様の耳はロバの耳、

クリスマスの夢・バレエ「くるみ割り人形」感想

長めです。が、途中とばしゾーン(?)つくったので、よければ読んでください。

12月半ば、今年のクリスマスは特に予定がないから自分で予定をつくって楽しく過ごそう、と決めた。
初めてケンタッキーでチキンを予約してみたり、トイザらスで自分のためにおもちゃを買ったりといろいろ楽しんだけれど、最も記憶に残ったのはバレエ「くるみ割り人形」を観に行ったこと。その感想を残しておく。

バレエを観に行くのは初めてで、よさがわかっていない状態で人を誘うわけにもいかない、と思い一人でチケットをとった。一方で、学生時代所属していたオーケストラで演奏したことがあったため、音楽には割と親しんでいる。演奏の参考に、とマリインスキー・バレエ団の動画は見たことがあった。

バレエ「くるみ割り人形」について、私の印象は、華やか/クリスマスの風物詩/子供向けの物語を大人も童心に帰って楽しむ、といったところ。
しかし物語については、正直よくわからん、と思い続けていた。
くるみ割り人形のあらすじは以下リンク。

NBS 日本舞台芸術振興会「くるみ割り人形」全2幕:ストーリー

 

夢見がちな女の子が、心がきれいだから見た目の醜いくるみ割り人形を大事にし、その褒賞として最高にきらびやかな夢を見られてハッピーになる話かぁ。
まぁ誰もが浮かれるクリスマスだし、そういう夢みたいなお話もたまにはいいかもしれないけど、基本的にnot for me。そう思う人、気が合いますね。
私は長らくそう思っており、今回の観劇には物語性での感動ではなく、イルミネーションを見に行くような、華やかさと季節感を堪能しに行った。

バレエの見どころは、素人の私が紹介しても仕方ないし、ネット上にもわんさかあふれている。従って下記は印象に残ったところだけ。(興味がない人は飛ばして、できれば★ラストシーンを読んでください)

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<1幕>
前奏曲かわいすぎる。世界観がぎゅっと濃縮されていて、目を閉じるとおもちゃとお菓子の王国が浮かんでくるよう。出だしから天才が過ぎるチャイコフスキー
・第一の見せ場、人形たちの踊り。舞台狭しと踊り回り、客席から拍手がわくも、スイッチが切れるとかくん、と止まってしまう姿には道化の哀しさも感じる。
★あまり一般的な演出ではないと思うが、ドロッセルマイヤー叔父のもとで奇術の見習いをしている甥が登場。原作物語ではくるみ割り人形の本来の姿であり、主人公と最後に結ばれる設定がある。バレエ版では必ずしもわかりやすく登場しないようだけれど、私が見た舞台では序盤の舞踏会のシーンで主人公クララへの恋心を仄めかしていた。この設定があとで効いた!
・舞踏会がお開きになり、名残惜しそうに人々が去っていく場面、長い。特にまだ遊びたい子供たちがどうにか残ろうとする芝居が笑いを誘う。それでも皆最後は手を振ってfarewell。

<2幕>
・お菓子の国の精たちがめいめいの出身地の踊りを披露する。(スペインの踊り、中国の踊り、アラビアの踊り…)突然万国博覧会っぽくなって最高に楽しい。
・2幕の見せ場(と勝手に思っている)、みんな大好き「ロシアの踊り~トレパーク~」。観たことがなくても、音楽は誰もが知っているはず。「くるみ割り人形」はドイツのお話なんだけど、ちゃっかりこんな曲を「ロシアの踊り」として書いちゃって心憎いよねチャイコフスキー、といつも思う。コサックで盛り上げ、観客の手拍子で加速して最後は「ハイ!」と決めポーズ、拍手喝采。このライブ感は観劇の醍醐味ですね。
・大好きな金平糖の踊り。(なぜかパ・ド・ドゥの1つ手前だった)チェレスタの奏でるこの密やかな夜のメロディーが、主人公クララの変わり身である金平糖の精にあてられているところに、子供の世界の深遠を感じられる。

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最後にはお菓子の国の精たちが勢ぞろいしてフィナーレを踊り、きらびやかな舞台の幕は一度閉じる。あぁ、美しかった、これでおしまい、と思ったその時、不思議な力を持つドロッセルマイヤー叔父が突然現れて意味深に微笑んだ。

★ラストシーン
ラストシーンには、私がこれまで「くるみ割り人形」に対して持っていた観念を壊し、再構築する力があった。
たった数秒の短いシーン。閉じた幕が再び開くと、部屋のベッドでくるみ割り人形を抱きしめ眠るクララ。薄くピンクに色づいた紗幕の向こうには、夢の住人であるお菓子の精たちがにこにこと手を振りながら、大きなブランコに乗って、右手奥へゆっくり遠ざかっていく。
そこに、ドロッセルマイヤーの甥が下手から走って登場する。先日の舞踏会でクララに恋をした彼は、胸に手を当て赤いバラを掲げ、クララに対する熱い気持ちを表現する。

そのままオーケストラが最後の一音を演奏し、終幕。

このシーンがあまりに美しく、またあまりに象徴的で、私は思いがけず泣いてしまった。
これは、子供時代への惜別だ。美しい空想と、甘いお菓子に彩られた少女時代はやがて終わる。彼女はこれから恋をし、外の世界を知るだろう。傷つき、力を蓄え、自分の足で歩むようになっていく。いつの日か、この甘美な夢のことも彼女は忘れてしまうかもしれない。子供の時間は一瞬だから、時間の経過は成長の喜びと同時に切ない別れをもたらす。

プレゼントを受け取る側から、贈る側へ。もう見られなくなってしまった夢を、せめて壊さないように大事に守る立場へ。クリスマスの贈り物は子供と、子供を愛する大人のためにある。子供向けの空想物語だと思っていた「くるみ割り人形」に、少女の成長を慈しみながら、過ぎていく時間を惜しむ大人の目を見つけて、胸を打たれてしまった。観終えて気づいたけれど、きっと子を持つ人たちは、初めからそのようにこの物語を見るんだろう。

 

L・キャロル「不思議の国のアリス」、エンデの「モモ」など、普遍的な童話は大人たちをも強く魅了する。そこには”大人からみる子供の世界の美しさと儚さ”が描き出されている。「くるみ割り人形」もそうした物語の一つに違いないと思う。


今回は日本のバレエ団の舞台を見て、予想以上に演出がよく、よい時間を過ごせました。次は、外国のバレエを観てみたいな。来年のクリスマスも楽しみです。