穴倉

王様の耳はロバの耳、

Brexit

号外、号外。

そんな声が聞こえた気がした。

 

大学の昼休みにSNSを流し読みしていると、驚くべきニュースが目に飛び込んできた。

イギリス、EU離脱確実。

「えーっ」と近くのテーブルから甲高い声がした。

 

「ねぇ、イギリスEU離脱だってよ」

「マジ?朝は残留って言ってなかった?」

「朝も離脱優勢だった気ぃする」

「けど意外!なんかぁ、歴史的~」

「ねーっ」

「これさ、何十年後かに思い出したりすんのかなあ、あのとき大学で友達と一緒にいたなぁとか!」

「あー、ちょうど就活の話してたなぁとかねー!」

 

ちょうど私と同じニュースを見つけたらしかった。一見華やかな4人組の女の子たちだけれどそのうち1人はスーツを着ていて、つい先日までの私のように就職活動に頭を悩ませているであろうことがわかる。

見た目は華やかでもまじめな女子大生たちの話題は、そのまま日本経済の先行きに対するぼんやりとした不安に移っていった。

 

そろそろ次の授業に向かおうと、談話室を出て廊下を歩いていると、早足で歩く男の子2人組とすれ違った。

 

「株価シャレになんないよ」

「ディーラー今頃大変なことになってんじゃないの」

 

うーん、やはり男の子は目の付け所がシビアだ。なんて言ったら叱られるだろうか。

断片が耳に入ってきただけで、なんの話をしているかわかった。

 

今日このとき、皆が一つのニュースでもちきりなのだ。これが「歴史的」ということなのかもしれない。そして我々が一様に手にしているのはスマートフォンだ。電気回路で結ばれた巨網の中を、配布員が走り回っている。

号外、号外。

もちろんこの街だけではない。東京で、大阪で、パリで、ベルリンで、ニューヨークで、モスクワで、物言わぬ配布員が今、叫んでいるのだ。

 

就職活動で覚えた新しい言葉、IoT。Internet of Thingsの略だ。これからの時代はモノとモノがインターネットで結ばれていくらしい。なるほどなと思った。もうすでに、 Internet of Humanは達成されているのだな。私たちの脳はこんなにもつながっている。

 

教室について待っていると定刻より少し遅れて教授が現れた。

 

「いやぁ、ひっくりかえっちゃいましたねぇ」

 

御年60歳を過ぎた先生のところにも、もれなく号外報は届いていた。

かぜ、ではなく、ふう、である。

 

今日は大学の食堂で「ベトナム風フォー」という期間限定メニューが発売されているのを見つけた。エスニック系の料理を提供する期間のようで、ガパオライスなんかも出ていて目新しい。

さっそく「ベトナム風フォー」を注文してみたのだけれど、よく考えてみるとこの商品名はなんだかおかしい。ベトナム風でないフォーを、私は知らない。というか、最近はやりのフォーは、ベトナム料理として市民権を得ているのではないのか?

 

もしこれが「インド風カレー」であった場合、さして問題は感じない。カレーは日本で普及してかなり時間が経っているし、ジャパナイズされているとも思う。それにカレーは種類が豊富で「パキスタン風カレー」とか「タイ風カレー」もある。その中で「インド風カレー」。うん、これは成立する。

 

一時期はやった「トルコ風アイス」。これもまたきちんと成立した商品だ。アイスといえば冷凍庫から出したては固く、徐々に液状になっていくものだが、なんとそのアイスにねばりが!これは遠くトルコの地からやってきた特別なアイスなんです!という売り手の自信がかいま見える。

 

そこで「ベトナム風フォー」。やっぱりピンとこない。具材は鶏肉と万能ねぎだけだし、どちらかといえばむしろ日本風といえる。ではこの風、はどこからきたのか。フォーをすすりながら考え考え出した結論、この商品は「ベトナム風フォー」ではなく「ベトナムフォー風」なのではないだろうか。つまり、本格的な「ベトナムのフォー」には及ばないけれど、「ベトナムフォー風」のなにかをつくってみましたよ、というエクスキューズということだ。しょせん大学食堂、本格的なエスニック料理の提供なんて誰も求めないだろう。ただメニューに「ベトナムフォー風」と書いてあったら、悲しいかな日本語、ベトナムフォー風の何?ということになってしまう。だから「ベトナム風フォー」。

 

ふうふぉーでもふぉーふうでもどっちでもいいよ、お前は何が言いたいんだと言われそうだ。風、という言葉の輪郭を曖昧にし、”イメージ”のイメージを添える語は、いかにも日本語的で可笑しいな、という気づきがあった、と言って共感してもらえるだろうか。

フォーはおいしかった。次はガパオライスをいきたい。

槌を振るう人

「人を叩く」という言葉はいつできたのだろう。もしかしたらかなり旧くからあるのかもしれないが、ここまで活躍するようになったのはやはりインターネット社会の発展があったからだろう。

 

今は誰だって叩かれる時代だけれど、叩かれやすいのはやはり公務員のように思う。「血税で食べさせてもらっているのだから、社会の規範たるのは当然」という意識が蔓延しているようだ。しかし、それは本当だろうか。

 

私たちには、職業選択の自由がある。その中で、公務員を選ぶもの、一般企業を選ぶもの、そのほかの働き方を選択するもの。この時点で個人に求められることに、そこまでの差異があるとは思えない。

そしてその給与の支払われ方は、およそ誰に対して価値を生み出したかというところに依るだろう。一般企業では、会社のために働くから会社から給与をもらう。クリエイターであれば、作品の価値を認めた消費者、あるいは媒介者から金銭を受け取る。公務員は、社会に必要と認められた職業であるから、社会全体から等しく給与を受け取る。それが税金だ。

ここまで来て問題が生じる。「社会に必要と認められた」とは何なのか。これこそが、公務員が叩かれることの本質ではないかと思う。

 

私の中にある、公務員を特別に叩く人への違和感は、税金を「取られる/盗られる」と表現する人への違和感と通じている。まるで現在の日本社会が、税金を取る人間と、取られる人間がつながっていない、前近代的な社会であるかのように聞こえるからだ。それは違う。私たちは国政や市政に参加することができる。どんな人でも関わることができる、というのが間接民主制の優れた点だが、もっと直接関わりたければ議員になるという道もある。

私たちは税金を「払って」いるはずだ。自分に直接与えられる恩恵でなくとも、社会に不可欠な仕組みのために。そして公務員の担っている仕事は、その仕組みを支えているものであるはずだ。”私と関係のない「社会」というやつが勝手に必要と認めた仕事”ではない。あなたは社会の一部として、その「必要」を見極めることができる。そのはずだ。

 

実態のよくわからない「社会」というものに、自分は参加していない、あるいはできていない。そのような意識が、自分たちの税金を「使われて」いる不安さとないまぜになり、個々の人々への攻撃に向かう。「公務員のくせに」「誰の金で飯を食ってる」ここまで露骨にいう人ばかりではないが、公務員と名のつく職業に、自分に課すよりも高いレベルの人間性、もっと言えば聖性を求める人は少なくない。仕事の内容とはまったく関係ないところの話だ。

それはおかしい。私たちは公務員の、広義で言えば顧客。税金に対して求める対価は彼らの仕事であるはずだ。それでやりとりは完結するはずなのに、「態度がなってない」「自分の生活より市民の生活を優先すべき」などと価値‐対価の論理から逸脱した意見をよく目にする。

 

公務員が給与を税金でもらう。これは制度だ。そのことに納得できないのなら、この制度をよく検分し、金の出どころと出し方は適切か、そうでなければ改正の余地はどこにあるか、そうしたことを考えるのが社会に参加しようとする人間の態度ではないだろうか。

「俺の金で飯を食うのだから俺の思う通りの人間になれ」

どうか、そんな勘違い亭主関白のようなことを、家の外でまで言わないでほしい。

 

なお、私はマスコミが「東大生、ストーカー殺人」とか「サッカー強豪の○○校で未成年喫煙」のように関係ない分野で秀でていることを強調して事件を報道することにも「叩く」の理不尽さを感じているのだが、それに関してはまたいつか書くことにする。

ズートピア

映画「ズートピア」を観てきた。周囲の反響がたいへんよかったので鑑賞前からかなり期待していた。そして期待通りとてもよかったので、感想をまとめておく。

このブログを読んでいる方はいないけれど、映画の細部や結末に関する記述もありますということだけ。

 

 

観る前は主人公たち、うさぎのジュディときつねのニックの絆が中心の冒険譚なのかな、と思っていたけれど、鑑賞してみてどうもそういう印象ではなかった。むしろ、背景であるズートピアという場所、社会のありようにこそ、この映画の重心がある。

 

弱い草食動物と強い肉食動物。そしてそのどちらにも更なる序列がある。草食動物の中でも体が小さく弱いうさぎのジュディ。肉食動物ではあるが体は小さく、それゆえずるく生き抜くしかないきつねのニック。映画の中で繰り返し描かれるのは、動物社会の中でのこの二人の位置づけだ。

ジュディはうさぎであるために周囲から見くびられ、努力が認めてもらえない。自分の努力は自分が一番知っているというけれど、他人に認めてもらわないとたどり着けないところはたくさんある。

ニックは自分のやり方でたくましく生きぬいているが、この社会においてきつねはずるく信用できない動物として差別されている。

弱いものは弱いから、強いものは強いから、社会からはみ出てしまう。ありとあらゆる差異が、絶対的に埋めがたい溝として横たわる。

非常に印象深かったのは、肉食動物を恐れる草食動物たちが団結して肉食動物を迫害しはじめるシーンだ。あのシーンの草食動物たちは、圧倒的に数の多い自分たちがあくまで「弱者」だと信じ、他者への「脅威」になる可能性について非常に鈍感であったように思う。現実には、絶対的な強者も弱者も存在しない。「弱者である」という盾に、いや、刃に、脅かされている「強者」が今、かなりの数いるはずだ。

映画の中において、こうしたズートピア社会の問題が根本的に解決されることはない。社会の問題を解決するのにかかる時間に対して、動物(ヒト)の一生は短すぎる。だからこそ「ズートピア」はこの社会で、どう生きるか、何を信じるかというところを描いているのだろう。

 

映画の冒頭からジュディが繰り返す言葉がある。

「世界をよりよくしたい」

これはジュディの信念だが、同時にディズニー・スタジオの目指すところでもあるはずだ。「エンターテイメントを通して、世界をよりよくする」、この理念は特に昨今のディズニー映画には強く流れているように思う。端的に言えば「善」の映画作りをしているわけだ。

しかしだからこそ難しい。というのは「善」の側に立ちますとはっきり表明したディズニーが悪役をつくれば、そのキャラクターは完全に悪になってしまう。過去のディズニー映画をみてみると、マレフィセント・ジャファー・クルエラ… 力を持ち、無慈悲な顔をしたキャラクターたちが一切の情けなく主人公を追い詰め、結果的に懲悪される。悪に認定されたものたちは、この先幸せになることは許されないのだろうか。

それに対し、昨今のディズニー映画はわかりやすい善と悪の二項対立を破ろうと奮闘しているように見える。たとえば、アニメーションなのに映画が終わった後に「メイキング映像」を流し、悪役も主人公もみんなで輪になって笑わせる。あるいは、悪役を悪役たらしめた悲しい過去を丁寧に描き、観客の共感を誘う。「ズートピア」に関しては、最後の大団円であるガゼルのコンサートに、黒幕のベルウェザー市長を刑務所の中で参加させる。

つまりディズニーはこう言っているのだと思う。

「許す」

この映画の主題歌 "Try everything" がやり直しを歌っていることも、その姿勢をうかがわせる。他者の失敗を受け入れ、自分から見て悪いやつでも許す。そうすることで自分自身も自分らしさを肯定して生きていける。なぜなら、失敗しない人間はいないから。一人ひとり考えていることは違うから。

 

この映画は多様性に富んだ動物たちの共生社会を描き、共生って難しいよね、でも実現できたらすばらしいことだ、と語っている。

そう、共生はむずかしい。私にはすべての人間が上手に共生する社会なんて想像もつかない。

でも共存くらいならできるんじゃないかな。こんなにまっすぐに「違いを認め合う社会」の尊さを映画にできる人たちがいる。そしてその映画が多くの人に届いている世の中がある。世界はこれからまだよくなるんじゃないか、そんな希望を抱かせてくれる映画だった。

訃報

蜷川幸雄が亡くなった。

私にとって衝撃的な死だった。

蜷川幸雄を知ったのは、大学に入ってから。藤原竜也のインタビューで必ず登場する鬼・演出家がいるとわかり、それまで全く興味がなかった舞台の世界に初めて目が向いた。

私は藤原竜也が好きだ。顔とかスタイルではなくて(いや、それもあるけれど)役者という仕事を自らの道と捉え、それに関しては誰にもつけ入らせない部分があるのがよい。雑誌やテレビで彼のインタビューがあるといつも目を通す。

その藤原竜也の初舞台を演出し、彼を「役者」にした人、蜷川幸雄

もちろん世界的に活躍していた演出家なのだから彼に影響を受けた人間はあまたいるのだろうけど、私にとってはそういう人だ。

 

藤原竜也蜷川幸雄、その二人を思い浮かべたとき私の中にもう一人必然的に浮かんでくる人物がいる。劇作家の井上ひさしだ。

2009年井上ひさしが脚本を書き蜷川幸雄が演出を務めた舞台「ムサシ」の主演は藤原竜也だった。好評を博した舞台がロンドンとニューヨークで再演される直前、井上ひさしは亡くなった。彼の遺作の一つと言ってもいいだろう。私が観たドキュメンタリー番組では演者と蜷川が「井上先生に捧げる」と公演にかける思いを語っていた。

なお「ムサシ」ののちに井上が藤原へのあてがきで執筆中であった「木の上の軍隊」は他の脚本家の手に引き取られ、2013年に上演された。

この番組を観たことで藤原・蜷川・井上の3演劇人が私の中でトライアングルとなり、演劇というものの熱量、舞台の刹那性とそれゆえ生まれる切実さを、憧れを持って見つめる契機となった。

 

いつか、蜷川演出の舞台を観にいこう。

できれば藤原竜也主演で。

 

そう決めて、そのいつかはなんとなく「就職してお金を稼ぐようになったらそのお給料で」に変わった。そう決めることで、希望はより現実的な目標になったはずだった。今思えば、そのときすでにトライアングルは欠け、たった1本の線になってしまっていたのだ。

今私は紆余曲折をへて5年目の大学生活を送っている。去年就職して社会人になっていれば、あるいは。訃報を聞いてそんなふうにも思ったが、蜷川幸雄がメディアでとりあげられるたびに「歳はとっても相変わらず元気で言いたい放題のじいさんだな」くらい能天気に思っていたからわからない。

 

やりたいことはとにかく早く、今すぐにやる。これは権利ではない。私に課せられた義務だ。この悔しさと喪失感は、ひとえにその義務を怠ったことへの罰である。そんなふうに思った。

 

偉大な人間を喪って、今宵どれだけ多くの演劇人がその死を悼んでいることだろう。私の中のトライアングルはついに1つの点になってしまった。拠るところをまた一つ喪った俳優も、今晩は思い出に浸っているだろうか。亡き人に捧げる意識でまた磨かれていくかもしれないその演技を、道を、私は必ず観に行こうと思う。

私の不恰好な恋愛のこと

いわゆる遠距離交際をしている。きちんと男性とお付き合いするのが初めてなので、いっきに距離が縮まることのないこのタイプの交際が自分のペースを保ててよいのかもしれない。そう感じる一方、なんとなく聞き及んではいた「付き合っている」ということの不確かさを、我が身のこととして実感してもいる。
 
大好きな小説のひとつに、山崎ナオコーラの「人のセックスを笑うな」がある。高校生のときこの小説を読んだがために私は「本物の恋は冬、東京の片隅でしか始まらない」と思い込み、スタートダッシュをだいぶ見誤った。あと映画のDVDとサウンドトラックも買った。
 

 

電話なんて温度だ。

 

 

言葉は何も伝えて来ない。

 

 

ただ温度だけは伝えられる。

 

 

オレは、ユリの温度の低いのを感じた。

 

 
この一節を読んで「ナオコーラ…!」と思った私であったけれど、現在、電話でなくとも男女の間に交わされるものはすべて温度なのでは、と思い始めている。
 
彼から連絡があったとき「またきた」くらいに思うときがある。それを文面に出さないように、いつもと同じだけ絵文字を使う。
あるいは、伝えたいことがあって送ったメッセージにいつも通りの返信がくる。ただ相槌だけで、会話の推進力がない。1つめの返事で今日はだめだとわかる。送れば送るほど相手の温度が下がるであろうことがわかってしまう。そして自分も、しばしば同じことをしていることも。
 
相手の温度に対して、影響することは難しい。あくる日目覚めたら前の晩とはうってかわってなんとなく話したくなっている、そんなことの繰り返しだから。こうやって無関係に温度を送りつけあって、いつか、どちらかの温度が上がらなくなっていることに気づいて、それが別れと呼ばれるのかなと思うとわびしくなった。
このわびしさが関係を大事に思う気持ちだと、今は考えるしかない。
 
二人の温度のリズムが同じになった方が気持ちいいだろうと思うけれど、すれ違い続けた方が長く共にいられるのかもしれない。寂しさの方が強いエネルギーで、離散していくものを繋ぎとめられるような気がする。
もうすぐ、連休で訪れる彼と過ごす日がやってくる。何かを確かめておきたい気がするけれど、それが何かわからなくてためらいながら書いた。

モネ

久しぶりにブログを開いた。

今日は京都市美術館で開催中のモネ展に行くことができたのでそのことについて書く。

 

私は混んでいる美術館がきらいだ。今日、一歩美術館に足を踏み入れたとき、あ、無理だ、と思った。1100円もったいないな。また来よう。1つ1つの絵の前にできている人だかり、を越してなお絵を見ようと背のびする人たち、のまわりで私見を交し合う人たち。とても美術品に集中し、モネを見つめられる環境ではない。

 

そう思っていたのに、若き日のカリカチュアやモネの敬愛した画家たちの作品を通り過ぎ、モネの油彩が壁に掛かりはじめたとたん、まわりの音がすぅっと消えた。鮮やかさ、としか言いようのない存在感があるのに、このやさしさ。大気の柔らかさ。この中のほんの1枚でも描くことができるなら、私は命をもって贖う、と思う。

 

今日のような環境で作品を楽しめたのは、モネの作品の一つの特徴ゆえだと思う。美術に明るいわけでないので単なる感想だけれど、モネの絵は少し離れて全体を捉えたときがもっとも美しい。最前列で見ているときは、こんなところにこんな色を、天才の絵はなんとも不思議、なんて思うこともあるのだが、数歩離れてからふと見やるとアッと声が出るほど調和して、これ以上ない、完璧な美の表現がそこにあるのだった。

 

今回特に印象的だったのは自邸の庭を描いた作品群≪睡蓮≫。作品のために精力的に旅行にでかけた時期もあったモネだが、晩年に近づくと自身の最高傑作とも言われた自邸の庭を繰り返し描いている。

ところで、私にはモネと並んで好きな画家がいる。ベルギーが生んだシュルレアリスムの巨匠ルネ・マグリット、彼は奇抜で難解なモチーフによって知られている一方で、生涯にわたり繰り返し妻のジョルジェットを描き続けた。どんな画家も、自分の愛するものは何度も、何度も、愛を重ねるように描いてしまうんだろうか。

モネの話だが、繰り返し描かれた彼の≪睡蓮≫をみて、私は自然の持つ一瞬一瞬のあたらしさ、をみる思いだった。昨日みた水面は今日の水面ではない。風にゆれ、陽光を反射する木立は一秒として同じ瞬間がない。自然が変化するから私たちの知覚も変化するのか。それとも、きのうの私と今日の私が違っているから、庭はかくも異なる表情を見せるのだろうか。モネは絶えず変化する水面を描く難しさを「気が狂いそうだ」と表現したと、館内のパネルに書いてあった。

 

モネの生涯にそって組まれた展示を追い、最晩年の作品を展示した部屋に辿り着いた。モネの眼を通してモネの庭を鑑賞し、彼と自分なりに心を通わせようとしていた私は現実に引き戻された。クロード・モネはもう、この世にいない。唯一無二の才能は永遠に喪われ、この絵を描く人はもう現れないだろう。そんな気持ちに襲われて、泣きながら最後の部屋を一周した。

雑踏が戻ってきた。「まぁーすごいわぁ」「ちょっと離れてみるとまたええなぁ」みんな、モネのつくった美に魅せられているのだった。ここにいる人たちと私は今、まったく同じだった。モネの絵が、誰とも似ていないのに、まったく新しいのに、懐かしいのはなぜだろう。よい芸術家は、人が普遍的に持っている美の概念そのものを表出すると聞いたことがある。

 

クロード・モネはもう、この世にいない。ただ彼の遺した作品だけが、私たちの中に眠っていた美を揺り起こすように、世界を周っている。

 

京都市美術館

マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展「印象・日の出」から「睡蓮」まで

https://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/kmma/exhibition/2015fiscal_marmottan.html

 

後期展示の≪テュイルリー公園≫を見たく、もう一度行こうか思案中。