穴倉

王様の耳はロバの耳、

モノカキのおじさん①

昔から本を読むことが好きだったので、作家やライターといった、いわゆる物書きの人々に興味があった。タレントなど表舞台の人々と違って、物書きの情報はこちらが注意を払わねば手に入らない。大作家にはもう死んでこの世にいない人もいるけど、まだ生きていてこんなにおもしろい本を出す人もいるんだ。いつかそんな人と話してみたいよなぁ、と小学校の図書室でぼんやり思ったりしていた。

 あいかわらずメディア上で物書きたちを追いかけてはいるが、残念というべきか、現在に至るまで私が物書きと一定期間にわたって交流を持ったことはたったの一度しかない。その人の職業は教師であった。

 N先生は、私の高校1年と2年のクラス担任だった。担当教科は国語。痩身で背も高くなく、スキンヘッドなのに目がつぶらなおじさんだった。見た目からは予想もつかないほどの美声の持ち主で、漢文の朗読などは、どうしてなかなか聞き応えがあった。

 先生は、わかりやすくいえば、常識のある変人だった。ニッチなものを見つけるたび嬉しそうにクラスに報告し、生徒が知っていると「フフン、やるな」とにやついた。授業に関する質問はとことん答えてくれたが、それ以外のことを聞くとだいたい面倒そうな顔をした。

 

芥川龍之介の「羅生門」を扱った授業は、忘れようにも忘れられない。下人が息をひそめて老婆をうかがっている緊迫した場面で、先生はやにわに黒板に毛根の絵を描きだした。

「“頭身の毛も太る”という描写があるが、実際に毛が太るはずがないよな。これはつまり緊張してアドレナリンが出て、毛穴が収縮してるわけだな。それで逆に毛が太ったように感じる。毛が逆立つって表現もあるな。昔はアドレナリンとかそういうことは知らないが、気持ちが昂ぶったときに毛がザワッとなることは感覚でわかっていたわけ。」

ヘェ〜なるほどねという気持ちはもちろんあったが、いかんせんそれを解説する先生がスキンヘッドなのだ。スキンヘッドのおじさんが毛根の絵を描いて「毛が」「毛穴が」といっている。しかもいい声で。腹に力を入れすぎて死んでしまう、と思った。私はなんとか持ちこたえたが、友人はそこで一度死んでしまったらしい。「自分の髪型を計算に入れたイタズラだと思う」とあとで憤慨していた。

 

そんなふうに、妙でありながらもどこか粋だった先生が、実は物書きであったことについて、次の記事で書こうと思う。