穴倉

王様の耳はロバの耳、

甘味

今日、おはぎを食べた。おはぎを出され、食べるか食べないか迷い、四方からじろじろ眺め回したあげくに食べた。私はあんこというものがそんなに得意ではない。
 
しかし、おはぎというのは変わった菓子だ。まず、中身が丸出しだ。これはもちろん、まんじゅうや大福を正規の存在として認めての発言である。ルーツとか、その辺りはよく知らないがなんとなく、「アイツだけ逆」感は否めない。
そして、菓子としてのやる気が全く感じられない。セルフプロデュースをする気がない。食われようが食われまいが、何もかもどうでもよいと言わんばかりのたたずまいだ。
他の菓子にとっても、ずいぶんと異色の存在に違いない。
 
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磨き上げられたショーケースに並べられ、比べられる菓子たち。みな自分こそが一番うまい菓子だと自負する猛者ばかりだ。もちろん、うまいだけが能ではない。
ショートケーキがシャキッと背筋を伸ばし、ザッハトルテはつやつや光る。和菓子だって負けてはいない。美しい花を形どった落雁、透き通った求肥に繊細な飾りつけの上生。そしてこのおはぎ…おはぎ⁈
お前なんでここにいるんだ!なんだその形!それに茶色い!お客さんがびっくりするだろ!丸まるならきちんと球になれ、だらしない!べっとりしすぎだし茶色い!泥か!帰れ!やる気出せ!
菓子たちは非難轟々である。しかしおはぎにはそんなことは関係ない。おはぎは、ただそこにいるだけである。生まれたからいる。それだけだ。
 
皿にのせられようと、口に運ばれようと、おはぎの知ったことではない。そんなのは人間が勝手にすればよいことだ。おはぎは自分という存在について静かに思考していた。生まれ、今存在し、そして消えてゆく。菓子とはなんて、刹那的な存在なのだろう。食われることが、幸せか。買われることが、幸せか。皿の上で串を待つ時間が幸福か。わからない。他の菓子たちの言うことが、おはぎには何もわからない。だから考えるのをやめてじっとすることにした。それと、さっき茶色いって悪口言ったやついたけどチョコレートも茶色いよね。
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そしてそのじっとしていたおはぎを食った私である。私はおはぎについて何もわかっていなかった。おはぎが、こんなにも哲学的かつ諸行無常的かつ色即是空的な存在だったとは。黄色い熊のキャラクターが「僕は【何もしない】をしているんだ」などと言っていたが、片腹痛い。本当に【何もしない】をしているのは、おはぎである。おはぎに比べればハチミツ大好き熊なんて、アクティブこの上ない。
 
私は、おはぎに人としてのありかたを学ぼうと思う。すなわち何よりもまず、正直に生きるということだ。必要以上に自らを飾ることはすまい。うまいかどうかは知らないが、まぁ噛んでみれば何らかの味はするだろう。煮るなり焼くなり、好きにすればいい。
 
 
ちなみに、フランスにはあんこを指す言葉がある。その言葉はフランス語で、「甘い土」という意味だそうだ。
 
…嘘だ。