穴倉

王様の耳はロバの耳、

預言の書

寝不足でちょっとつらいやと思い横になると、10分ほど眠ったらしく、悪夢をみた。夢の中でも私は悪夢をみていて、体に何かがふれる感触で目が覚めそうになっている。でもまだ眠くて、どうにかこじ開けたまぶたの隙間から見ると、部屋の窓を開け放しにしていたせいか蚊のような小蠅のような虫が全身に集っていて、窓の外は闇で、巨大なすばる星雲が浮かんでいる。悲鳴をあげて身体中をむちゃくちゃに叩きまくるが、小さな虫たちはぴしゃんぴしゃんと打つ私の手を逃れ、繰り返し何度も肌に吸い寄ってくる。死に陵辱される恐怖にさいなまれているのに、どうしても眠くて、まぶたは絶えず落ちてくる。指でまぶたを押さえても、視界がどんどん閉じていく。のどが詰まって声が出ない。暗くなる。死ぬ。ばっとあたりが白くなって画面が切り替わったと思ったら、私の部屋である。叫んでも暴れてもおらず、きわめて寝相よく寝ていた。

何か食べたかったし買いたい本があったので、上着を着て貴重品だけ持って家を出る。玄関を出ると身慄いするほど寒く、眠たいせいかなと思って深呼吸しながら背伸びをしてみると、体の内側から外側から冷えた空気に触れて心底寒い。逆効果だよ、とムカついてすぐやめる。

路地を歩いていると、見たことのない鳥がちょっと飛んで、地面を跳ねて、またちょっと飛んで、暇そうにしている。なんの鳥だろうと見ていると、ランニングをしていた親子の父の方が「あ、メグロじゃん」と言いながら通り過ぎていった。ははあこれがメグロか。私はてっきりカケスかと思った、やはり年の功と思いながら一応スマホで調べてみると、メグロでもカケスでもない。結局キジバトのちょっと変わったやつだったんだろうと思うことにした。

家から一番近い本屋は充実したラインナップの個人書店だが、古書店だ。新刊がほしかったので、15分ほど歩き初めての書店に行ってみた。新刊書店ではあったが、古書店よりずっと小さいうえがっちりと地域に密着していて、子どもと老齢の人々を想定した本ばかりだった。イーロン・マスクの半生を記した本だけが平積みされて、完全に浮いていた。

しかたがないので、電車を使って隣駅の未来屋書店が入っているイオンに行った。花粉症がきつい。人が多くて、皆平気で車道にはみ出している。途中、クラシックバーガーの店でハラペーニョたっぷりの本格メキシカンバーガーを食べ、カセットコンロを抱えた制服姿の男子高校生を見かけた。

そうして購入したのがこの本です。

それでは読みます。

九段理江さんで「東京都同情塔」

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「最近ついた嘘」雑感

私が初めて作った本を読んだ母が「あなたはあらゆる経験を言葉として蓄えているんだなと思った」と感想を送ってよこした。

 

私という人間を、私自身の分別のない頃から観察してきた人による作品への感想というのは、大変貴重だし興味深いと思ったが、その言葉には半分納得し、半分首を傾げた。

はたして私は私の経験を言葉として蓄えているだろうか。

 

小説という媒体を選んだのは、子供の頃に「これだ」と思って以来それを超える「これだ」がない、という単純な理由だが、もう少し絵がうまかったら、絵を描くことも真剣に取り組んだかもしれないな、と思う。そして私は映画を観ること、漫画を読むことが大好きだが、それらを制作してみたいと思ったことがない。自分が書いたものを朗読したり演じたりすることにも、大なる関心はない。目で追うときの引っかかりが少しでもなくなればと思って、書いている途中試しに声に出して読んでみることはあるけれど。

 

短篇集「最初についた嘘」に収録した「検体」を読んだ複数の人から「ねろり」という擬態語が印象的だったという感想をいただいた。どうしてこのような表現を、と聞かれて答えに窮した。私の目の前で揺れた検体のようすを表現するのに使った言葉がそれだった、というのみで、特段こだわりもなく書いていたからだ。

そのときからよくよく考えてみると、私は小説を書くとき、自分の頭の中に架空の記憶のような映像イメージがあって、それを文章であらわそうとしていることに気がついた。なんとなく物語をつくる人は多かれ少なかれそういうことがあるんじゃないかと想像するけれど、人によってイメージの構成要素は違うのかもしれない。

 

以前西加奈子さんが「サラバ!」を刊行した際のインタビューで、"この作品をつくるとき、「僕はこの世界に、左足から登場した。」という冒頭の一文が浮かんできて、小説家たるもの、言葉から物語を紡ぎ出したいとずっと願っていたので嬉しかった"というようなこと(大意)をおっしゃっていたのが記憶に残っている。それでいうと映像を浮かべながらわざわざ言葉に焼き直している私は、全然未熟か、あるいは単に迂遠なのかもしれない。でもはっきりと見えているこの映像をアニメーションにしたり、はたまた人を巻き込んで現実世界に再現したりしようとすると、薄皮が何枚もはさまれて味が遠くなるというか、賞味期限が切れそうというか(時間の問題ではない。自分の中で5年10年寝かしているイメージはザラにある)、とにかく気が進まない。

 

あともう一つ気がついたのが、私が頭の中に浮かべているイメージは無音である。台詞は、音でなく文字で浮かべている。サイレント映画のようなものを文字起こししながら、そこでどんな音が鳴っているか、どんな会話が交わされているかを想像してアテレコするように書いている。

たぶん、常日頃からあまり音に気が向いていないんじゃなかろうか。「雑音」「会話」「情報」の3種類くらいにソートして、適当にチャンネルを切り替えているだけのような気がする。

 

これは全然いう必要がない話だが、私は過去に恋をした相手のどこが好きかと問われると声、と思うことが多かった。これはおそらく、声が素敵な人を好きになるのではなく、その人への関心が最大限に高まってようやく相手の個性の一つとしての"声"に思い至るのであって、声に関心を持てる相手のことはすでにそうとう好きということではないかと思う。簡単に言えば耳があんまり仕事をしていない。

 

特に映像や音声表現、これらはたとえるなら流れる水のように動的で、こうした表現をするには私の頭の中は断片的にすぎる。シーンの集積、台詞の集積、単語カードを集めて一つのリングに綴じるみたいに文章を書いている。

人の耳は音声を途切れず拾うけれど、視覚は瞼のシャッターで、アナログ的にカシャンカシャンと切り替わる。

 

このワンシーンに説得力を持たせられたら、と思ってそこへ向かう道筋をせっせと積むが、その途中でこんな山道、果たして誰か他の人は登ってくれるのかと疑問に思う。めちゃくちゃ絵がうまかったらドガの「踊り子」みたいに、自分が最高だと思うシーンだけ描いて、飾っておけばいいのかもしれない。

 

文学フリマで本を買ってくれた方が「長篇を読んでみたい」と言ってくださったのはうれしかった。登るに足る高い山を、いつか立ち上げられたらいいのですが。

おそれ

 魔女を恐れていた頃があった。物心がついた頃、私はかなり遅かったので小学校に上がるかどうかの時期だと思う。

 実家は2階にリビングがあって、1階は玄関と物置きスペース、あとは駐車場になっている。 そのため人が出入りする日中はともかく、夜になると1階に誰かがいることはなく、物置きにあるものが入り用なときだけ降りていく。人のいないスペースに電気をつけておくわけもないので、 折り返し階段の踊り場をすぎると、 行く手にはまるで地下壕のような、 真っ暗な空間が口を開けている。

 あの暗闇には魔女がいる。幼い私にはそう思えてならなかった。黒い装束に身を包み、 奇妙に折れ曲がった鼻の先には巨大ないぼがあって、目が合うと指先でこちらをおどしながら、黄色い乱杭歯を見せてニタリと笑うのだ。私の中には明確に魔女のイメージがあったが、今思うとそれはディズニーアニメ「白雪姫」 に登場するものとほとんど相違がなかった。アニメでは高慢な女王の真の姿として描かれ、 世界中の子供たちを恐れさせた老婆が、私の実家1階の物置き脇にひそんで獲物を待っている。 ゼンデイヤが地元のスーパーで売り子をしているくらいあり得ない話だが、当時の私にはのっぴきならない事態であった。

 私はなかなかに賢い子供であったので、 子供向けアニメなんてしょせん嘘っぱちだということに気づいていた。魔女は毒リンゴなんて回りくどい手段は使わない。もっと確実に獲物を怯えさせ、かつ迅速に仕留められる武器を携えているはずである。だいたいどうしてリンゴなんだろう。そこそこ日持ちもするから、狙った獲物がまだいいや、と台所に置いているうちに全然関係のないやつが食べるかもしれないじゃないか。まぁ毒殺におけるリンゴという食材の妥当性はさておき、幼い私曰く魔女の武器はどう考えても刃物であった。

 刃物は怖い。ちょっと触って切れただけでも痛いので、刺さったりしたらめちゃくちゃ痛いはずである。人に向けてはいけないということを、私は親や先生から言い聞かせられたので知っているが、魔女にそんな理屈は通用しない。 むしろ向けちゃいけないからこそ向けてくるだろう。そしてこれから与えられるであろう苦痛に怯え、顔をゆがめて震える私の反応を十分に楽しんだあと、腹のあたりをぶすりとやる。そうすると血が噴き出して、内臓、たぶん腸とかが引きずり出されて、めちゃめちゃ痛いし絶対に助からない。血だまりに沈みゆく私を見て、魔女は高笑いするのである。

 そんな末期は絶対に嫌だったので、なんらかの護身術( 当時はそんな言葉は知らないが)で対抗する必要があった。魔女の武器は刃物なので、刺さらなければなんということはない。たいせつな腹部を守るため、まんが雑誌をズボンのゴム部分に挟んでTシャツの中にしのばせることにした。1発目はそれで躱せたとして、業を煮やした魔女の2の矢、3の矢を躱すことは容易ではない。その前にカウンターを奪い、魔女の動きを封じなければならない。

 ここで閃いた。魔女は老婆なので手首や足首の骨にそろそろガタが来ているはずだ。( 祖母が当時から、おばあちゃんは骨粗鬆症で骨が弱いのよ、とよくこぼしていた。体が弱くて嫌になる、と毎日愚痴を聞かされたが、それから20年近く経った今、どうしてなかなか健在である。)

 ローキックで足首の骨にダメージを与え、魔女が「ウッ」 と体を折ったところで刃物を取り上げ、 手の届かないところまで放る。すかさず腹部に仕込んだまんが雑誌を取り出し、背表紙の部分でしこたま脳天を殴打する。完璧な計画だ。いくら魔女といえど、出合い頭の子供にここまでされて戦意が残っているとは思われない。さらに殴っているうちに運よく気絶でもしてくれれば、両親を呼んで生け捕りにして、 警察などのしかるべき機関につきだすことも視野に入ってくる。

 イメージトレーニングを完璧にして、手持ちの中で一番いらない号の「ちゃお」を腹部に仕込むことで、私はなんとか泣かずに物置きにたどり着けていた。勝負は一瞬だから、事が起これば私一人で立ち向かう他ない。階段をそろそろと降りながら、頭の中はいかにして鋭いローキックを打ち込むか、でいっぱいだった。 物置きには時たま大きなクモやゴキブリが現れることもあったが、 魔女に比べればなんということはなかった。クモもゴキブリも、刃物を持っていないからである。

 それから年を重ねるなかで、恐れの対象は変化していった。ベッド下の空間、日本人形、カカシ、生け花、時計のない部屋… ありあまる時間と想像力とが、ありとあらゆるものを恐ろしく見せた。その一番始まりに階下に棲みつく魔女がいたこと、それを大学卒業ぶりに長期滞在した実家で、脚立を探して物置きに降りようとした拍子に思い出した。今はストレスが溜まるとホラー映画をいっき見するような大人になってしまったので、怖いものというと夜道と不審者くらいか。でもよく考えれば、あのとき魔女に対して備えた一連の護身は不審者に相対したときもそう変わらない。結局ローキックとちゃおです。あと知らない人からもらったりんごは一応先に誰かに食わそう。

 静岡には台風が来ていて、窓の外は風雨がすごいことになってきた。みんなもよいお盆休みをね。ウィンガーディアムレビオーサ。

母と東京

 先日母と東京に行った。コロナ禍でしばらく帰省ができなかった頃、顔を合わせると衝突しがちな私と母はグッと親密度が増して「2人でディズニーなんか行っちゃったりしたいね」と話していた。今は帰省だってできるようになったけど、約束を果たそうよ、と言ってチケットを取った。母はオリエンタルランド株主優待で無料チケットが取れた。

 ディズニーシーでは私の食べるものをすべて母が奢ってくれた。私は社会人になってから両親と会うときも可能な限り自分の食べたものは自分で払うようにしてきた。帰省では実家の食事を出してもらうので、近辺で旅行に行った時に多めに出したり、プレゼントを買って帰ったりした。でも今回は私だけがディズニーチケット代を支払っているので、平等だ、と思いありがたく出してもらうことにした。お母さんが買ったごはん、お母さんが買った飲み物、と思いながら口にした。おいしいけど、自分で買った方がおいしいな、と思った。

 閉園ギリギリまで遊んで、私が予約したホテルに行った。銀座にあるちょっといい目の、でもビジネスホテル。母は田舎の農家で生まれた人だけど、バブルの頃東京で学生をしていたせいなのか「ハイクラスなもの」が好きなので、普段自分が選ぶようなリーズナブルで体を休めるのに必要十分なサービスのみのホテルではダメだと思った。

 部屋の広さ、レセプションサービス、アメニティ、朝食の質、母は値踏みするようなことを言ったり言わなかったりしながら概ね満足しているように見えた。あるいは、私が予約したホテルなので満足しているように見せたのかもしれない。出発のときに「なかなかよかったんじゃない」と言ったら一拍おいて「そうだね」と返ってきた。

 翌日は母の希望でお台場にてチームラボボーダレスの展示を見たあと、清澄白河を訪れた。私は江戸時代にまつわるものが好きなので、以前一人で深川江戸資料館に来たことがあった。今は休館中なので、いったい何をすればと思ったが、母は「おしゃれなカフェ巡りをしたい」と言っていた。どちらが若いのかわからない。

 近辺で食べログの評価が一番高いカフェに入った。歩くのに適さないサンダルを履いてきたので足がめちゃめちゃに痛かったけど、絶対に「疲れた」と言わないようにしようと思った。カフェは内装もメニューもカトラリーも洒落ていて、なかなかいいんじゃないかと思った。

 母が「お水もらってくる」と席を立った。そのときいるかと聞かれて「いらない」と答えたが、なんとなく予感がして「本当にいらない。私、いらないからね」と念を押した。

 しばらくして戻ってきた母の手に2つ水の入ったコップがあったので頭の芯がビリっとなった。「いらないって言ったよね?なぜ2回言ったかわからなかった?」と聞くと母は「違うの、これただの水じゃなくてレモン水だから」と言った。

 関係ないのに。私はいちどきに飲み物を飲みすぎると気持ち悪くなったりお手洗いが近くなったりする(割とそういう人は多いと思う)。その店で氷入りの紅茶を頼んでいたから、水なんて欲しくなかった。

「私飲まないよ。いらないって言ったよ」

「でもレモン水だよ」

「いらないってば。なんで私の話聞かないの」

「大きい声出さないで。もういいよ、私が全部飲むから。それでいいでしょ」

 全部なんて飲めないくせに。自分だってコーヒーを注文して、それに水2杯飲んだら気持ち悪くなるでしょ。私は自分でとってきたものを残すのも嫌いだ。

 それでいい、とは全然思わなかったが母の「大きい声出さないで」は相手が大きい声を出しているかどうかに関わらず発動される「これ以上の文句は受け付けない」の合図なので、黙るよりなかった。

 私は私の言葉を言葉通り受け取ってもらえるのが好きだ。私がいらない、と言ったらいらないし、いるといったらどんなにいらなく見えてもいる。私は私自身の扱いをわかっているし、自分の頭で考えて決めたことを積んでいくのがよい人生と思っている。

 この際水をどうしようがかまわないので、そのことだけは母にわかってほしいと思ったが「大きい声を出さないで」と言われて叶わなかった。

 そういえば母は共に出かける際、私によく「この服どう思う」と聞く。私はそもそも他人の服に興味なんかないのでいつも「いいと思うよ」と答えるのだが、母はさらにAとBとどちらがいいか尋ね、たいてい私がいいと答えた方を身につけている。服なんて、自分がいいと思うものがこの世で一番いいに決まっているのにな、と不思議に思うが、それが母の価値観なんだろうとも思う。

 母はきっと予想もしなかったレモン水を連れが持って戻ってきたら喜んでごくごく飲むだろう。それもわかる。そしてあとで無性にトイレに行きたくなって「ああ〜レモン水飲んだからだ」と悪気もなく言う。そのときそのときが一番大事な人なのだ。

 1泊2日一緒にいたけれど、小さないさかいをしたのはそのときだけだった。これが長く一緒にいるほど頻繁になって、規模も大きくなる。人間って変わらない。

 カフェを出て歩いていたら通り雨が降ってきて、傘を持っていなかった私は母の雨傘兼用の日傘に入れてもらった。思いの外強い雨脚に尻込みした母が「もう帰ろうか」と言ったけど、今日を逃したら母がこの街に来ることはないんじゃないかと思ったので「せっかくだからもう少し歩いてみよう」と言った。しばらくすると雨は綺麗に上がり、なんだかお洒落なカフェが点在する通りを見つけることができた。母は「あなたの言った通りにして正解だったね」と嬉しそうにしていた。私は「たまたま上がってよかったよ」と言って、前を歩いた。雨の中長く歩いて足が熱を持ち始めていたが、疲れた、とは一度も言わなかった。私も母も。

嫌いな上司と袂を分かつのこと

実家に帰省したら、朝食にグレープフルーツが出た。

苦手である。口に入れたとたん酸味とえぐみが広がり、マズい、 と顔をしかめたが、甘味とうまみだけをおいしいと感じるなんて、 28歳にもなってそんな幼稚な味覚でいいのか?と思い、マズい→ 複雑な味だ、と頭の中を修正する。 何度もこれを繰り返していけば、 いずれグレープフルーツを食べると「複雑で味わい深い」 と思うときが来るのではないか。そう思いたい。

 

GWと称した10連休をとるにあたり、 一つ自分に宿題を課していた。

それは「上司について考えない」こと。

 

19年7月に自部署にやってきた上司と私は、 想像を絶するほどウマが合わなかった。

はじめはずいぶんと感じのいい、快活な人だなと思った。 前の上司がパワハラの気があったこともあり( 実際会社の指示でアンガーマネジメント講習などを受けていた)、 それに比べるとかなり付き合いやすい人のようだ、順調順調。

少し、事業や製品のことに疎いけれど、外から来た人だし。 指示に根拠が足りなかったり二転三転したりするのも、 時間が経てばそのうち。自分に言い聞かせるうちに半年、1年が経 過し、違和感は失望になった。

前の課長が自分の仕事としてやっていたことを課員にすべて割り振 ってしまう。それでいて特に新しい仕事をしているようではない。 課員の個人としての仕事内容は把握しない。 だから思いついたように出す指示は的が外れている。 外から振られた仕事を捌かずチームに丸投げする。 誰がやっても同じアウトプットになる仕事なら、 納期と負荷に応じて振り分けるべきだが、 当然そんなことはできない。 部下の仕事量を把握していないからだ。

 

このように、 上司の仕事ぶりに関する愚痴を言おうとすると永遠に並べることが できる。この1年と10か月、 とにかくこの上司への苛立ちが私を支配していた。 仕事中だけではない。家族や友人と話していても、 愚痴が口をついて出てくる。 聞かされる方は意味がわからなかったと思う。会ったことのない、 この先会うこともないであろう人間の仕事ぶりがよくない話なんて 、本当に聞く意味がない。面白味もない。 聞いてくれた人には申し訳ないことをした。でも止まらなかった。

 

私自身、どうしてこんなに腹が立つのかわからなかった。「 仕事のストレスの8割は人間関係」というが、 仕事上の人間関係なんて、 意図的にプライベートで関りを持たないかぎり、 社外に出てしまえば自分とは関係ないことではないか、 と思っていた。

違った。

仕事後、怒りが収まらずノートに上司の嫌なところを書きなぐる。 我に返り、あんな人当たりのよい人をここまで嫌いになるとは、 私の方がどうかしているんじゃないかと自己嫌悪に陥る。 誰かが上司を貶していると、 自分が間違っていないと言われているようでホッとする。 でも誰か上司のいいところを教えてくれ、とも思う。 嫌なところばかり見て、 顔を合わせるのがつらくなるのは自分である。上司が夢に出る。 夢の中でも私は地団駄を踏んでいる。「上司とうまくやる100の コツ」を読む。 全て部下の諦めと我慢の上に成り立っていることに絶望する。 占い師に相談に行く。 知るはずもない上司の生年月日を聞かれて往生する…。

 

ここまで七転八倒しても、 私と上司の関係は基本的に悪化の一路を辿った。

当然のごとく私も悪かった。上司の意見について「違う」 と思うことはほぼ100%「違うと思う」と主張した。 上司の期待に沿えなかったときに上司の側にも改善点があるのでは ないかと思うことはすべて当人に伝えた。 ものすごく嫌味な部下である。誰だってそう思うだろう。

 

上司は私の担当プロジェクトに関連する打合せに出なくなった。 上司の、 そのまた上司への報告に最低限必要な情報収集しかしなくなった。 それまでも十分とは言えなかった相談先を、私は完全に失った。 大きなプロジェクトであったため、他部署の関係者も多数で、 皆職位の高い人ばかりだった。課長職の人間がいないので、 一担当者の私に部長や室長クラスの人々から連絡・質問・ 依頼が集中した。私はあっさり会社に行けなくなった。

 

部長から電話がかかってきた。

私はうまく働かない頭で「困っていること」 を箇条書きにしたエクセルシートを画面共有で見せた。 そのときはなぜこんなに苦しいのか、 自分でもよくわかっていなかった。

部長はさっと目を通して「もともと負荷も高かったのに、 お月見さんを一人ぼっちにしてしまったね。 すぐに相談できる体制を整えます」と言った。

 

私は一人ぼっちになって、誰にも相談できず苦しんでいたのか。 しかし課長を遠ざけたのは私自身だ。 私は自分で自分の首を絞めたのか?すべて私の未熟さ、 至らなさだったのだろうか。

それならばそのように誰か私を𠮟り飛ばしてほしいと思ったが、 結局誰からも戒められることはなく、 元から決まっていた組織体制の変更を機として、 めまぐるしいほどの速度でチームの再編、上司の異動、 私の仕事量の調整が行われた。

上司とは4月末をもって袂を分かつことになった。

 

一度だけ、上司と少人数で飲みにいったことがある。 私と上司とがあまりにうまくいっていないことを心配した元上司が 気をまわし、3人で飲みに行こうと誘ってくれたのだ。そのとき「 なぜ私たちはうまくいかないのでしょう」 と冗談めかして問いかけてみた。「なぜだろうねえ、 僕が伝えようとしていることがお月見さんにはうまく伝わらないし 、 お月見さんが伝えてくれることも僕はうまく受け取れないんだよね え」と上司は困ったように笑った。

その通りだと思った。ずっと異星人と話しているような焦燥感、 これだけは間違いなく私たちが共有したものだ。

何か共感めいた感情を持てそうであったが、その後元上司から「 お月見さんと合わないのはわかりましたけど、 じゃあ今のチームの誰なら合うんです? 誰となら仕事しやすいですか?」と聞かれた上司が「うーん、 誰とも合わない。今のチームで評価している人は正直いないかな」 と”正直であればなんでもいいと思うなよ”というような返答をし ているのを見て雲散霧消してしまった。百歩譲って私はいいけど、 チームの悪口を言うな。

 

連休前、私は課員に呼び掛けて上司の送別メッセージを集め、 ちょっとしたアルバムを作ることにした。なぜと言われても、 もうよくわからない。 ただ何か少しでも自分自身にとって漂白剤となるようなことをして おきたかった気はする。

自分のメッセージカードに何を書くか最後まで迷ったが、 形式的な礼と挨拶に加え「 あまりいい部下でなくすみませんでした」と書き添えた。

送別会の日、一次会から二次会会場へ移動の最中、 ふと隣に上司がやってきた。

「お月見さんと何度か、電車で一緒に帰ったことがあったね」

「そうでしたね」

「あのときは楽しかった。仕事と関係ないことで話をして。 ああいう時間がもっと持てたらよかったかな。 コロナ禍で難しかったけれども」

「…そうですね」

私の記憶が正しければ、 そのとき我々は共通の話題のなさと気まずさのあまり、 楽天スーパーポイントセールの際には何を購入するかという、 この世の雑談の果てのような話をしていたのではないかと思うが、 なんだか上司が感傷的になっているようだったので肯定した。

 

連休が明けたら、新たな環境での仕事が始まる。 言ってみればわがままが通って仕事環境が最高に整ってしまったの で、もう言い訳はできない。上司との関係に懊悩している頃「 上司のサポートを受けられない期間が一番成長する」 という言説を耳にしたが、私はそれほど強くなかった。 上司と良好な関係を構築できず、さりとて自立もできず、 ぺしゃっとつぶれてしまった弱い自分を認めて鍛えないといけない 。

結局GW中は上司のことを思い出すことはほとんどなかった。が、 あの謝罪の一文を上司はどのように読んだだろうか、 ということだけは少し気になった。

 

冒頭に戻る。

好きな食べ物はそばと馬刺しで、嫌いな食べ物はトマトとレバー、 あとグレープフルーツ。シチューとかはまぁ、 好きでも嫌いでもない。 ランキングをつけるとしたら嫌いな食べ物は一番下位に来るはずだ が、どうしてなかなか「食」 に関して考えるときに私の脳裏に浮かぶ回数でいえばシチューより もトマトの方が圧倒的に多い。食べる回数は少ないはずなのに、 嫌いな食べ物の味は口が鮮烈に覚えている。あの酸味。苦み。

上司のことも、 もしかしたらこの先何度も思い出すのかもしれない。 そのたび顔をしかめるのかもしれない。同じ会社にいる以上、 いつかどこかで、と月並みな挨拶をしたが、 できればもう同じチームで働くのは御免こうむりたい。

でも、完全に忘却のかなたに追いやってしまうのではなく、 もっと経験を積んだ時にこの2年弱の記憶から何か取り出せるもの があったらいいなとも思う。

夢日記、舞台

体調が優れず、自宅勤務を終えるや否や、吐き気をこらえながらベッドに潜り込んだらそのまま、眠ってしまったらしい。


嫌な夢を見た。

私はさる劇団の一員のようだった。


本日上演されるのは中世ヨーロッパの物語。シェークスピア翻訳のような、貴族王侯たちのダイアローグ、芝居じみたセリフまわし。出演者はみな華やかに着飾る。男たちは髭と剣を、女たちはコルセットドレスと扇を。

私が村娘役の共演者と共に会場に到着したのは、すでにお客が、1,000席は超えようという大きな会場を満たしたあとだった。


開演まであと20分。

楽屋口から入るのが当たり前なのに、どうしてだろう、私と共演者は客席最前列にある小さな戸口から匍匐前進で奈落へ向かわなければいけなかった。まだリュックサックを背負って普段着で。舞台袖に着く頃にはうっすら汗をかいていた。冒頭に出番がある出演者たちは、準備を済ませ、発声練習など思い思いに過ごしている。


私の出番は第1幕の後半から。

演ずるのはリンクという名の若き貴族の青年だ。美麗で、これから貴族界を駆け上がる野望を抱き、一途で世間知らずで、未だ恋を知らない。20分以内には衣装をつけ、簡単なメイクを施し舞台袖に待機する必要がある。

どうしてこんなにぎりぎりになったんだろう。

夢は会場に着いたところから始まっていたので、理由は何もわからないままだ。ただ大事な舞台に遅刻なんて、私が悪いに決まっている。

一切責めず理由も聞かず、てきぱきと私の衣装やメイクを仕上げていく裏方スタッフたちに謝りながら、されるがままになった。


「リンク、出番まであと5分!」


声がかかる頃にはどうにか支度を済ませ、下手の袖で待機の状態に持ち込めていた。奇跡的だ。さすが信頼するスタッフたち。ありがたい。

ふと、手にした薄い冊子をみる。この舞台の台本らしかった。ぱらぱらとめくっていて気がつく。

台詞を覚えていない。

それどころか、どんな物語かも知らない。初見だ。

足の感覚がない。地面がなくなって、どこまでも落ちていくみたいだった。


確認すると、第1幕でのリンクのセリフは4つくらいで、そう長いものではなかった。

ただ、前後の共演者の台詞も頭に入れないことにはタイミングがわからない。

舞台に飛び出していくまであと2,3分。なんとかしなくては、と焦って何度も目を滑らせる。少し間違えてもいい、とりあえず流れを止めないように…

しかし、最初の台詞が気にかかる。

「準備が整いましたなら一献」

酒宴の開始を促す一言らしいが、この「一献」の読みは「いっこん」でよかったっけ?たしか「いっこん」だったと思うけど、こんな言葉一度も口に出したことがない。「いっこん」で伝わるんだろうか?「いっけん」という誤読の方が一般的で、あえてそちらに合わせて読んだ方が伝わる、なんてことがありそうな気がする。早急や重複、のような。


いや、舞台の流れを止めないことが重要だから、些末なことはいい。残りの台詞を覚えないと。

だけど本当に「いっこん」でいいのか?観客が、1,000人の観客が、意味がわからず不審に思うかもしれない。

楽屋のスマホで調べるか、演出家に尋ねたい。でも、そんな時間はない。

全身が熱い。どうして私はこんなところにいるんだろう。こんな華やかな格好で、台詞を全く頭に入れずに。私がこんな事態に陥っていることを誰も知らない。助けなんて求められない。こんな状況、どう考えたって私が悪いに決まっているからだ。


記憶にはないけれど、こんなことになるまでまぁいいやと後回しにし続けて、何も手を打たなかったんだろう。まわりには「そこそこやってるよ」なんて顔をして。私はそういう人間だ。


芝居は止まらない。2,3分が永遠のように長い。舞台は眩いほどに明るい。くらくらした。もうじきあそこへ出ていく、全部ばれてしまう、何もわからない、すべての人が私を見放す、私は一人で立ち尽くす……


目が覚めた。心臓が、早鐘のようだ。

部屋だ。夢だ。起きたんだ。

時計を見ると、午前1:30をまわったところだった。いつから寝ていたんだろう。寝る前の記憶が曖昧だった。


現実を認識すると、じわじわと嫌な気持ちが広がった。

助かった。また助かってしまった。今度こそ、ばれてしまうはずだったのに。

間一髪で、逃げてきてしまった。私のせいで、台無しになるはずだった舞台から。


スマホで調べたら「一献」はやはり「いっこん」で間違いないのだった。「いっけん」と誤読しないように注意!とまで書いてあった。私の夢の中なのに、どうして私の扱いきれない脚本が用意されるんだろう。私の知識と経験の限界を、私の脳が嗤っている。


あれは夢だ。私の頭の中にしかないんだ。だからもう大丈夫。そう思おうとしたけどだめだった。自分の頭の中の出来事が、一番怖い。


私が逃げたってきっと、舞台は終わらない。リンクは、舞台に上がったんだろうか。私ではないリンクが、私のかわりに絶望を引き受けたんだろうか。


私は私を知っている。私は私を隠している。卑劣にも平気な顔で、真っ当なふりをして、今日まで逃げおおせている。

いつか舞台に上がる。私は裁かれる。リンクはそのとき嘲笑うだろう。

私に味方はいない。私は一人で立ち尽くす。

こういうときこそ

在宅勤務をして数日で、腰が「サービス終了のお知らせ」をリリースする気配がしたので、急いで座椅子を買った。

その名も「背筋がGUUUN 美姿勢座椅子」。8,000円。

これに座るとずいぶん楽で、心なしか作業も捗る気がするので、ついでに文章も書いてみる。

 

全国に緊急事態宣言が出て約1週間、いつも通り、とはとても言い難い。

 

仕事をしているが、もう何日も上司や同僚の顔を見ていない。

たまに出かけるスーパーでは、レジを打ってもらう間透明なビニールの仕切りをまじまじと見てしまう。こういうものが目の前にあると「大将、やってる?」とふざけたくなるのだけど、どれだけ顰蹙を買うか想像に難くないのでやらない。ソーシャルディスタンス。

芸能ニュースに疎い私でも、知っているような有名人の訃報。

SNSに溢れる差別とそれに対する批判。政権に対する批判と、それに対する批判、に対する批判。大抵はディスカッションではなくて、終わらないリレーみたいなもの。転がってきたボールを拾って、明後日の方向に投げて、それをまた誰かが拾う。結局最後は行方不明。最初の一投目だけが、バズった呟きとしてずっとタイムラインに残り続ける。たまに複製されて増える。

 

疲れるな、みんな疲れてるんだろな、と思う。

戦って疲れ、戦えず疲れ、戦いたくもない相手と戦わされて疲れる。

ただでさえいつも通りじゃないのにね。慣性の法則って人間にもあてはまる。いつもと違うとそれだけで疲れる。

 

そんな最近、私はちょくちょく、こういうときこそ文学だ、と思っている。

家にいるから本を読め、ということじゃなく。まぁそれもいいんだけど。

 

知っていた世界が、変わってしまったとき。

そんな世界に動揺して途方に暮れているとき。

そういうときは、文学だ。

 

私はめちゃめちゃ読書家なわけではないし、何かを執筆しているわけでもないけど、幼い頃から、文学に対する愛情を忘れたことはない。

文学とは何か?答えは千差万別であるべきだが、私にとっては、世界のありかた、そして世界を認識する人間の心のありかたを写し続ける芸術だ。

文学は、読者に対して明確に何かを規定しない。知識を与えるための書でもない。

ただ、世の中というものを写し、人間を写し、世界のレイヤーを少しずつ少しずつ増やし続ける。

 

写すということは、そのものがその形で、確かにそこにあると認めることだ。

美しいもの、新奇なもの、おぞましいもの、平凡なもの、誰にも気づかれないほど幽かなもの。

著者も読者も人間なので、好きだったり嫌いだったり興味がなかったりする。それはそれでいい。ただ、写しとられたものは消えない。そこにある。なかったことにできない。それが私は、文学のもっともやさしく、誠実なところであると思う。

 

私は文章を読んだり書いたりが好きだけれど、結局ただの趣味なので、生活に追いやられることはままある。何年も積んだままの本やら、3ページでやめてしまったものが56冊ある日記帳やら、お前が文学を語るな、と言ってくるものに囲まれて肩身が狭い。

だけど、言い訳めいているけれど私は、生活の中で、私の思う文学のありかたを指針としている。

 

どんなものでも、そこにあることを認めたい。

醜い感情や相容れない考え方、一生話がかみ合わないであろう人、忘れたい記憶、長すぎて誰にも読まれないかもしれないこの文章。

とにかくあるのだ。私が気づいたものは全部世界の一部で、毎日世界はちょっとずつ分厚くなっていっている。

 

私たちは今受け入れがたい現実に襲われているけど、これも新しい1ページになる。いろいろなものを奪う代わりに、見えていなかったものを浮き彫りにして、やがて様々に語られる出来事になる。

 

だから、こんなときこそ文学だ。

今まで人間が堆積してきたレイヤーはちょっとやそっとのものじゃない。どれだけ世界が分厚くまた様々か、その頼もしさは私たちを救ってくれる。

それと同時に、これだけ分厚い世界に、新たな1枚を付け加えることがどれだけ大きなことかわかる。私たちはまさにその現場に立ち会っているのだから、動揺は必然だということも。

 

最近は、こんなことを考えている。

「馬鹿を言え、こういうときは音楽だ」「歴史だ」「物理学だ」「酒だ」その他もろもろ各方面から野次が飛んでくる気がする。いいね。そういうのが聞きたい。

おのおののやり方で気ままに、図太く生きましょう。最悪になっても、文学はあなたを否定しない、と思うよ。